慶應か、翠嵐か!? 最後の選択 4

長男の結果に動揺していたのは、実はパパ!

長男の合否結果を受けて最もダメージを受けていたのは、実はパパでした。

高校受験に関しては、パパは一貫して一定の距離を保ち見守る姿勢でいました。志望校選択についてパパが長男に意見することもなかったし、一方的に期待をかけたり、プレッシャーを与えることも全くありませんでした。そして筑駒不合格についても長男に、「残念だったね」と慰めの言葉は掛けても、それについてどうこうコメントすることも一切ありませんでした。

翠嵐の受験中、長男テンションが下がってきて、なし崩し的に「慶応にしちゃおうかなあ~」と言った時には、「最後まで気を抜かず集中しろ! どうするかは全てやり遂げてから考えろ! 」と、長男に克を入れていました。そのくらい冷静かつ客観的でした。…でも、実は、実は、パパはその時、陰ながら非常に落ち込んでいました。長男のいないところで、時折ウルウルと涙ぐんでもいました。

それは、長男の不合格がショックということではなく、自分の大学受験の記憶と重ね合わせていたから。そして長男の心情に思いを馳せては、胸が一杯になっていたからでした。

パパの中から溢れ出した、過去の記憶

パパは大学受験当時、国立大学志望でしたが、残念ながら不合格で私大に流れたパターン。その時の無念な思いが、この度の筑駒不合格をきっかけに、心の奥底から、パンドラの箱を開けたようにワーッと溢れ出てきたそうです。そんな思い、とっくの昔に封印し、今となっては若い頃の思い出のはずなのに。すっかり過去のものとなったはずの感情が、トラウマのように鮮明に蘇ってきたそう。長男の中学受験の時も、パパはそのパンドラの箱からわーっといろいろな思いが溢れ出てきて、たまらなくなっていました。憧れの志望校の不合格は、やはりそんなに悔しく、辛く、苦しいものなのですね。

パパがなぜその国立大を志望したかというと、そこではパパが学びたいと思っていた分野が、まんま専攻学課として成立していたから。「自分はここで、こういった研究をして、こういう仕事に就くんだ! 」と、人生の青写真を思い描いて受験に挑んだそうです。たかが高校生の描く青写真ではありますが、当時のパパとしては「自分の進むべき道はこれだ!」と一心に思い突き進んだ。しかし、国立大の壁は厚く、残念ながら不合格でした。

結局は、進学した私大でも希望の分野を勉強できる場を見出すことができ、現在は希望通りの仕事についています。結果オーライでした。大学生活も十分楽しめて「むしろ性格的には実際に進学した大学の方が合っていた、あの当時は見えてなかった」と、今では言っています。もう今となってはその学校に特別な思い入れはありません。

でも、18歳当時のパパにとって、志望校“不合格”はとんでもなく重いものでした。“不合格”、そのひとつで思い描いた将来の夢が全てかき消された。将来なりたい自分を丸ごと全面否定された気持ちになったそうです。ただ「落ちた、残念!」の一言、一瞬の感情だけで済まされるものではありませんでした。

「あんなに憧れて、憧れて、それなのに入れないと分ったときの絶望感、悲しさが蘇ってくるよ」と、パパ。そして、「長男も今、あの思いを感じているんだろうな」、「俺はそのとき18歳だったけど、長男は中学受験、高校受験と、子供なのに、もう2回もそんな思いをさせてしまった」と。自分の当時の気持ちを思い出しては、長男がどんなに切ない思いをしているかと、長男のいないところで長男を思ってウルウル来ていました。

思い入れなくては受からない受験の厳しさ

そう、受験って本当に残酷なところがあります。

上位校を狙うなら、真剣に取り組まないと箸にも棒にもかかりません。「とりあえず、やってみて受かれば」なんてのん気な綺麗ごと、とても通用しません。真剣に取り組むなら、その学校に“合格”することを信じて突き進まないと無理! だから受験では、どんなに自制しても、どんなに冷静でいようとしても、親も子も実は受かることしかイメージしていません。人前では「ダメ元だから♪」と言っていても、やはりそれは建前。謙遜でしかない。本音は受かる気満々で落ちることなんて、考えてない。

それなのに、実力が届かなければ“不合格”でバッサリ。その道はあっさりと閉ざされてしまいます。すっかり受かるつもりのスイッチが入っているのに。

不合格になった後に現実路線に軌道修正するのも、これまた難しい! “受かるつもりスイッチ”を強く強く入れっぱなしにしていたのですから。頑張った分だけ、思い入れが強かった分だけ、それを解除するのは大変な労力です。精神的に非常に消耗する。

親こそ冷静であるべきだけど…

本人が受かることしか考えられないもの。その分、親は冷静でいなくては! 不合格の場合を想定しておかなくては! と、中学受験のときに思い知り、今回は冷静でいようと努めていたつもりでしたが、やっぱり高校受験でも、そうはなりきれませんでした。

というか、ハードな受験、親もある程度スイッチ入れないとやっぱり無理。そして、中学受験での教訓を元に、今回のスイッチは用心深く、少しだけ入れておいただけのつもりでしたが、受かるスイッチは少しだけでも入ったら強力なものだった! というのが正しいところです。少し入れただけでも、精神的にはすごーく引っ張られる。親の心の持ちようという意味でも、受験とは、本当に特殊なシチュエーションで、なかなか難しいものです。

長男を思うパパ、そして次男のコメント

「これだけ頑張ったんだから、もう終わりにさせてあげたいかな」とパパが言い出しました。「これでまた大学受験に挑んだら、あの子の10代はずっと報われないよ。せっかくの10代を闘いの中で過ごすことになってしまう。もっと楽しんで学校生活送らせてあげたいよ」と…。

そんなことを2人で話したていたら、奇しくも次男がやってきました。

次男は、テレビのバラエティ番組などで雑学的な知識をしこたま仕入れるのが好きなのですが、「この前『世界一受けたい授業』でやってたけど、人は4回受験すると精神的に壊れるんだってよ~」と。

そうかも。あり得る気がする。

これまで、国立、公立しか考えていませんでしたが。長男が慶應と結論を出したら、迷わず受け入れようという気持ちになっていきました。